赤穂義士と山鹿素行
全国フォーラム  パネルディスカッション 発言要旨
「全国フォーラムについて」  山本 明
 短期間で、全国フォーラムを呼びかけ、実現に持ち込めた今回のようなケースは、赤穂市では、初めてのことだと思います。これには深い意味があります。
  赤穂義士が生まれた原因も含め、関り合いのある江戸時代の有名な儒学者・山鹿素行先生を調査・研究するうち、この先生に想像を絶するほどの影響力があることに気付きました。
 赤穂山鹿素行研究会メンバーの調査で、赤穂義士はもとより、素行を先生と仰いだ明治維新の実践的指導者・吉田松陰が、新しい指導者、つまり多くの英傑を輩出して国づくりが進められ、さらに学徳の影響を受けた萩出身・官選の兵庫県知事が、大正末期に赤穂を訪問、素行の銅像に参拝「この地に素行先生の人づくりの学問を生かそう」と大不況のなか、昭和2年、旧制県立赤穂中学校を創設した経緯も明らかになりました。
 それに道徳教育が消滅したことも原因して、異常犯罪も激増する昨今、礼節をわきまえ、自分に厳しく、人を大切にする山鹿儒学は、今でも生きています。
 帰省以来、研究会の楽しい仲間とこのフォーラムを計画、兵庫県から『元気回復支援事業予算』を付けていただいたのを機会に、山鹿素行先生を赤穂の新しい地域資源として発掘し、素行儒学を生かし、礼節を尊ぶ『心豊かな国民性を取り戻す全国運動』と、日本の中央部に位置し、交通アクセスもよく、国体で実証ずみの赤穂市の特性を生かし『武道やスポーツのまち宣言』もして、全国から多くの人を赤穂に集める『まちおこし』とも取り組もうという目的もあります。
 このフォーラムが成功すれば、市民の皆さんのご協力もいただき、山鹿素行の『全国的な大河ドラマ』の実現にも力を入れたいと思います。

「素行と赤穂教育は人なり」  木山正規
 昨年、素行会会長故井上順理先生が会員多数と赤穂に来訪、9月26日に大石神社で素行祭を執行し、素行先生銅像を見学、大石神社でご講演を拝聴する機会があり、以前から素行先生の思想を研究し顕彰しようとしていた市内有志が、この際広く活動を展開することとなり赤穂山鹿素行研究会が結成された。
 山鹿素行は元和8年(1622年)会津に生まれ、9才で林羅山に入門、15才で小畑景憲、北条安房守について兵学を学び、儒学はもとより隠元に禅を問うなど、徳を慕う門人は3000人。赤穂藩祖浅野長直は1000石を以て招聘、承応元年(1652年)から万治3年(1680年)まで、素行は7年10か月江戸において藩士に文武の学を講じた。
 又、承応2年8月江戸を発し、赤穂に7か月滞在、二の丸虎口の縄張りを行った。その後寛文6年(1666年)素行は聖教要録の筆禍で赤穂へ御預けの身となった。二の丸にあった家老大石頼母の屋敷に迎え、頼母は1日2回の肴菜を贈ったという。最近頼母の屋敷の門が復元された。延宝3年(1675年)まで謫居は8年9月に及んだが、大石内蔵助はその8才から17才の間、最も多感な青少年期に素行の薫化に接した。薫化はおのずから藩士に深く及んだと思われ、元禄の快挙はその27年後のことであった。 寛文九年謫居から4年経て、名著中朝事実が著された。
 山鹿素行の思想は明治維新の原動力吉田松陰に引きつがれる。松陰の家は山鹿流兵学を家学としていた。更に乃木希典大将も、松陰の家系に関わりがあり、又藩邸から3キロの泉岳寺には、月3回義士の墓へ父に連れられ参詣したという。
 素行の思想をそのゆかりの地で継承普及する拠点として県立赤穂中学校は、松陰を生んだ長州出身の兵庫県知事山縣治郎の熱意により経済不況を推して建設された。
 その校長に人を得るべく、山縣知事の奔走により、元陸軍大臣宇垣一成、陸軍人事局長川島義之、京都帝大小西重直博士(母校安積中学同窓)の推薦で武川寿輔陸軍少将に決定した。
 その際、武川先生には宮中序列では少将より下位になる県知事の下で中学校長となることに難色を示されたが、義士を育てた山鹿素行と同郷であることで、赤穂赴任を納得されたのである。
 先生は「義士の精神を欽慕し、山鹿素行の遺風を紹述」以て純日本の国士を養成すべく、実践躬行、質実剛健を二大綱領とする教育を実践されたのである。
 戦後、占領軍によるパージで教職を追われた義士研究家平尾須美雄先生は、赤穂義士をその時代背景をはなれ、人間として見直すならば、そこに美しい人間関係、主従、親子、兄弟、夫婦、友情の美しい人間関係が見える。赤穂義士をそう見ていくならば、そこにこの世を生きる人間としての手本典型を見るであろうとして、まず義士復活を唱導された功績は大きい。

「赤穂義士と素行先生」  佐方直陽
1.赤穂義士の人生観
 私たちは、何かよい事をすると、その報いを期待しがちである。赤穂浪士の中にも報いへの期待が心の片隅にあったであろう。だが、彼らの場合には、素行の思想を中核とする武士道が人生観の基盤をなしていた。そこに人間としての強みがあった。つまり、「武士たる者は、人倫の道を志して社会の指導者たるべし」という訳である。ここで重要なことは、真の武士道は何らかの報いに対する期待に  動かされて実現しようとするものではないと言うことである。赤穂浪士は、武士という立場から、当然復讐すべきだから、したのであって、何らかの報いへの期待によって動かされたのではない。報いへの期待に幻惑された者は脱落した。武士道と言う道義に根ざした人倫の道に、人生の誇りを賭けた者は、点滅する報いの心を踏み潰して討ち入り敢行したのである。
2.山鹿素行先生の偉大さ
 素行先生44歳の時「聖教要録」を発表した。これが、幕府の官学である「朱子学」批判だとされ、赤穂流謫の原因となった。素行先生は死罪を覚悟して幕府の呼び出しに応じた。そのとき遺書を懐に入れていた。簡単に遺書の内容を言うと、「聖教要録の何処が問題なのか、一言一句の議論もなく、私を罪人にした。私を罪に陥れる者は、周公・孔子の教えを罪とする者である。私を罪人にしても、 教えを罪にすることは出来ない。聖人の道を罪にするのは、時の政治の誤りである。こんなことでは、天地がひっくり返り、世の中は光を失う。ただ残念なのは、今の世に生まれ、時世の誤りを末代に残すことである。これが私の罪である。」素行は自身の学問に強い信念を持ち、天下国家を思う偉大な人物であった。私の罪は「聖教要録」ではない。時代の誤りを糾すことが出来なかった事だ。並の遺書では ありません。ここに素行の偉大な人柄を見ることが出来る。

「教科書にみる山鹿素行と忠臣蔵」(情報化時代と忠臣蔵)  有政一昭
1.赤穂事件とは
 教科書の元禄時代を丹念に調べると、赤穂事件は歴史の象徴としての意味を持っていることが分かります。
 赤穂事件(広義の忠臣蔵)の人気の秘密は、当時の庶民・旗本・大名が支持したことにあります。支持した理由は、武士(指導者)の一分(恥辱を晴らすこと)を貫いたことにあります。
 現代の視点で、社会や価値観などが違う封建社会を評価することは妥当ではありません。現在、私たちは、自分の分を知り、人間としての規範(行動・責任のあり方)を実践することが求められています。
2.情報化時代とは
 情報化とは、ペーパーレス(デジタル化)により情報を共有化することです。誰でも、どこからでも、お金がなくても、情報を発信できる時代でもあります。以前は、情報は一部の人が独占していましたが、現在は、情報は全ての人に開放されています。地元でしか出来ない、自分しか出来ない情報が求められている、素晴らしい時代です。
3.情報化時代に山鹿素行や大石内蔵助らの教えや実践をどう定着させるか
 大きなイベントを通じて多くの人々に知ってもらう方法も重要です。情報化時代にふさわしいホームページをアップするなど日常的に継続的に活動することも大切です。
 いくら理論や理想が高くても次代を担う若者に支持されなくては衰退します。今の若者が支持する方法で、山鹿素行や大石内蔵助らの教えや実践を具現化する実践例を紹介いたします。若者と同じ目線で考え、行動しましょう。

「地域に貢献できる人材の育成を」  橋本博行
1.兵庫県立赤穂中学校設立に貫かれる「義士精神」
 兵庫県立赤穂中学校は昭和2年4月に設立された。その開校式の式辞の中で県知事山縣治郎氏は「困苦に耐えてその忠を変えず、誘惑脅迫にも所信を枉げず、毅然として闊歩するが如き人物を養成・・・、大石良雄や山鹿素行の霊感の下に教育を施したならば全国500の中学校の中において、最も意義あるものを建設し得るべしと信ずる。」と述べている。本学建学の精神は、この式辞に由来し、「本校は義士の精神を欽慕し、山鹿素行の遺風を紹述し、・・質実剛健、実践躬行を教育の二大綱領とする。」とあり、初代武川校長のもと「義士精神」に基づき、作業教育重視、学校教練の徹底、剣道部の華々しい活躍等文武両道の校是が築かれていくのである。
2.新制高校の発足と不易のものとして「義士精神」の継承
 昭和23年の学制改革により、昭和23年4月に赤穂中学校は赤穂南高等学校に、赤穂高等女学校は赤穂北高等学校となり、同年9月に両校は統合されて県立赤穂高等学校になった。男女共学が始まり、民主主義の新しい教育が行われることになる。生徒達は、文武両道を校是とし、「質実剛健」の校訓のもと、平和と自由を謳歌し、勉学に運動に成果をあげていくことになる。昭和56年に城内から現在の位置に校舎が移転されたのをきっかけに、「質実剛健」の校訓に、「礼譲敬愛」「自主創造」が付け加えられ、さらに 次代を担う健全な人材の育成が目指されるのである。
3.社会に通用し、地域に貢献できる文武両道のバランスの取れた人間の育成
 高等学校の使命は、第一に「社会に出て通用する人間」の育成、第二に「文武両道のバランスの取れた人間」の育成、第三に「感謝の気持ちを持つ人間」の育成、第四に「公共の精神を持ち、地域を愛し、地域に貢献できる人間」の育成であると私は思っています。本校は、平成20年度から12月14日の義士祭に、缶バッジの制作と配布、清掃作業等のボランティア活動、義士行列、剣道・柔道・弓道の奉納試合、駅伝競走等全校を挙げて参加しています。生徒自身が主体的・積極的に参加することによって、今まで以上に地域に対する愛着と公共の精神が育つと思います。そして、赤穂義士と山鹿素行先生の精神が根付く赤穂においてこそ、兵庫県の目指すこころ豊かな人づくりが実践できるのです。

  「こころ豊かな人づくりを」  宮本一成
 赤穂山鹿素行研究会の趣意書に「こころ豊かな人づくり」を明記しました。兵学者素行で誤解される事に配慮し今日の日に向けて関係者で、教育基本法や教育振興基本計画等を事業の成功に向けて読み合わせた結果です。
 活動の柱に私は、「山鹿語類」から「士道・本に立つ」の普及を選びました。
(1) 己の職分を知る、 (2) 道に志す、 (3) その志す所を勤め行うにあり、です。
 平和時の武士の生き方のために「士道」を説いたのは、当に浅野長直公の求めに応じ赤穂の人づくりのためでした。当時の武士は今の公務員です。このフォーラムでは、素行が、武士は農工商三民の道徳の手本であるべきと士道を説いた思いを今の公務員の中で当に実践されている4人の先生方を中心にして、赤穂山鹿素行研究会が出発する事で何を目指しているかを示したかったのです。「こころ豊かな人づくり」のため私達は各自の職分を遂行します。

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屋山氏 素行を引用  機関誌『至道』  佐方会長の講演のCD
素行銅像の案内板   『山鹿素行のはなし』刊行   『山鹿素行の士道論』発刊
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