模様が生み出した形−竹内真吾〈象嵌の器〉

                                       唐澤昌宏(東京国立近代美術館主任研究員)


 2003年以降の竹内真吾の作風は、それ以前までのもと比べて大きな変化を見せている。それは、技法や技術などの外見的な部分だけにとどまらず、作陶に対する意識、要するに内面的な部分にもおよんでいる。

   「模様から入る。それにあわせて形も考えている。」(1)

 この竹内の短い言葉にはそれを知る糸口が隠されている。


 竹内は1982年に、愛知県瀬戸市に工房を構え独立するが、その前後から、日本伝統工芸展の東海支部展に出品を始め、また同時に、若手作家の登竜門といわれている新聞社や窯業地が主催する公募展にも積極的に応募し、作品の発表を始める。それらは、瀬戸の窯元で身につけた黄瀬戸や志野、瀬戸黒や織部ではなく、以前から興味を抱いていた須恵器に似た色合いの作品であった。

   「どれも似たようなもので、個性がないように感じた。」

 修行で身につけた陶技ではなく、あえて自分が心惹かれた須恵器風の作品にした理由がこの言葉にあるが、その後はこの言葉に秘められた意味を自問自答しつつ作陶を続けていくのである。


 竹内の作品といえば、濃いグレー色をした素地を特徴とする〈炭化象嵌〉シリーズを思い浮かべるだろう。竹内は独立後まもなくの1985年以降、一貫してこの〈炭化象嵌〉の作品をつくり続けてきた。それは竹内が心惹かれた須恵器に似た色調と技法を特徴としたものであり、その基本は釉薬を全面に施さない焼き締め陶である。とくに重要となる「炭化」の焼成の技術については、文献をきっかけとしながらも試行錯誤の中で、ほとんど独学で掴んだものである。

 この、今日までの約20年間の〈炭化象嵌〉シリーズだが、少々乱暴ではあるが外見的な視点から、現時点において3つの傾向に分けることができる。第一が「模様中心の展開」、第二が「形中心の展開」、そして第三が「模様と形による展開」である。

 竹内の〈炭化象嵌〉シリーズの技法の特徴は、素焼き後に象嵌の工程を行うところにある。象嵌には、成形後に彫りを入れて、素焼きの前に色土を埋め込んで象嵌を施す場合や、竹内のように、彫りを入れて乾燥させ、素焼き後に象嵌を施す場合など、作家がそれぞれに工程を考える。

   「成形用の土を細かい土に変えればガサガサ感はなくなるが、模様を見せつつ素材感を感じさせるにはこの方法をとりたい。」

 竹内はこのように前者の、素地が乾燥する前の方法では、象嵌した土を掻き落す時にできる表面の荒れた肌に違和感が残り、そのため、余分な土は掻き落すのではなく、素焼きしてから象嵌を施し、スポンジで取り除く方法をとっているのである。また、この言葉からは、須恵器に惹かれる竹内が、色だけでなく、その素材感にも目を向けていることがわかる。しかし、第一の展開では、基本となる丸や三角、四角などの象嵌の模様は、ボディとなる器の形が、皿や花器などに変わろうとも同じように配置され、ボディは、まるで模様を見せるやきもののカンバスのように用いられているのである。言葉を変えれば、素材に関わる部分は意識が行き届いているが、形とそれを飾る模様とはバラバラの関係にあり、どちらかというと模様への意識が勝っている感がある。修行時代に培った個性を求めようとする意識が、織部や志野などの釉薬の表現で見せるやきものから、個としての模様で見せるやきものへと移行したことがこのことからも読み取れる。そして竹内にとっての模様は、その後、自身の作品になくてはならないものとなるのである。


   「動きを取り入れたかった。」

 第二の展開となる1990年以降、模様への意識が、この言葉にもあるように土の立ち上げから生まれる形へと移り、形の構成に視点が置かれる。土の素材感や色合いに大きな変化はないが、模様が、第一の展開の延長上にあるような単独で成立するものや、新たな意識への移行を示すような形と結びつくように取り込まれるもの、あるいは、彫りによって全体に装飾を加えて模様のように見せるものなど、模様を出発として表面の構成がさまざまに変化する。それらは、形があり、そこに模様が施されているという見方もできる。そして、この第二の展開から器物へのこだわりがより強くなる。

   「空洞を意識して形をつくる。」

   「オブジェでもどこかに口を開けている。」

 「空洞」や「口」という言葉からは、竹内のやきもの=作品であるための考え方が読み取れるが、そこには作品=器であるための必然が同時に存在する。ゆえに竹内の作品を注意深く観ていくと、外見がどのような形態になろうとも、内には空洞を有し、どこかに開口部がある造形になっているのである。

 また、このころの特徴として、前後を押しつぶしたような扁壺が多く制作されるようになる。これにより作品の正面性が強くなり、同時に、作品の動きを明確に捉えることができるようになるのである。そこには、「動きを取り入れたかった」という竹内の言葉が映し出されているといってもよい。

 このように、第一の展開から第二の展開、すなわち模様そのものから形へと意識が移行することにより、土の立ち上げによる造形的な魅力が備わったといえるのである(2)


   「模様について一言することをゆるされたい。第一にその外形である。普通には通用せぬ事ではあるが、私は模様と云う語のうちに立体的のもの及び外形等をも含ませて考へて居る。壺の形なしに模様を考へる事が出来ず、建物に於ける壁間の装飾は側面や空界線なしには考へられない。形は身体骨組であり、模様はその衣服である。形と模様とは相互に連関して初めて一つの生命を造る。」(3)


 そして、2003年以降の竹内の作品は、この富本憲吉の言葉にもあるような、形と模様が連関したなかで生み出されていくのである。

 しかしながら、いきなり第二の展開から第三の展開になったのではなく、その過渡期ともとれる作品制作があり、それを経て、さらに幾つかの段階を経て、徐々に第三の展開へと移行していく。

 その過渡期的な作品群が、三角や四角、丸といった立体を積み上げて組み合わせた花器や扁壺である。その表面には線を彫り込む程度で、模様らしい装飾は施されていない。

   「色から離れたい。」

 炭化象嵌の作品をつくるなかで竹内が一貫して大切にしてきたのが、模様であり、模様を飾る色彩であったが、その作品群は、彫りだけで装飾とし、色彩をあえて無くすことで、より形を凝視し、さらには形と模様との関係を探ろうとしたといえるだろう。結果的には、丸、三角、四角の立体の組み合わせだけでは作品の展開が難しいことから次の方法を考えることとなるが、それが、第三の展開のきっかけとともに、これまでにない「形と模様の連関」をつくり出すのである。


   「竹籠の編んだ感じ。」

 これは、2003年の個展で発表した作品を考えついた時の竹内のイメージである。竹内はその制作の原点を、第一の展開と同じように模様=パターン重視に戻した。そして、竹が何本も入り組んだ模様をつくり出し、その連続で形をつくり上げているイメージを形にした。しかし第一の展開との違いは、模様が生かされる形を考えて形をつくり出し、出来あがった形に模様を施したのであり、単純に皿や花器の形の上にその模様を施したのではない。形に対しては、それまでは角ばった形が主流であったところを、角を丸くし、模様が展開しやすいように曲面で構成している。

 このようにして第三の展開のはじめは、曲面を持った形同士を組み合わせてフォルムをつくり出している。そうすることで、表面の模様はパターンが連続し、フォルムを包み込むように広がっていく。単純な形でありながら、表面のパターンがリズムをつくり、ふくらみを強調したり、形を締めたり、形をより複雑に見せたりと、いろいろに働きかけをするのである。作品のサイズは以前よりも小振りとなるが、以前にも増して、造形と装飾=形と模様が一体化しており、力量に応じた的確なサイズのように見えるのである。

 模様は、表面に彫りを入れた線に白土で象嵌を施し、その象嵌による白線の間を基調となる紺色と、緑色や朱赤色などが響きあうように塗り分けられている。一時的に模様を無くして造形に力を入れた結果、色彩が戻ってきたことになるが、模様をより強調するように、また、竹内ならではの色彩が配されていることに気づかされるのである。

 さらに形の特徴としては、底部の中央をやや浮かせて、脚によって立ち上がっているように見せているところである。


   「伝統的な矢絣のパターンを取り込みたかった。」

 竹籠のパターンの次に考えたのが、この矢絣のパターンである。竹籠と矢絣はいわゆる古典のパターンであり、そのまま用いると、たんに模様を借りてきたようになってしまうものである。しかし竹内の作品からはそのような印象はまったくなく、模様が形をつくりながらも、しっかりと形に即した模様が存在している。

 そこには、竹籠のパターンで破綻を生じた展開を、矢絣のパターンでは、曲面を変化させながら形を構築することで克服し、より模様に即したフォルムをつくり出しているところが見られる。作品に見られるモコモコとした膨らみがそれであるが、脚部や口縁部の形にもそれが反映し、例えば、三脚と五脚ではフォルムも口縁の形も異なるのである。

 また矢絣のパターンでは、土を手捻りで立ち上げながら成形した後、パターンをつくり出す基本となる縦のラインがフォルムに即して描かれることで、模様の大小や模様そのものの揺らぎが生まれ、それによりフォルムが強調されて、動きも強く感じられるようになっている。モコモコとしたフォルムがより有機的で、しなやかに立ち上がる様が見て取れるのである。


 模様にこだわり続けた竹内の、現時点での結実した姿がこの矢絣のパターンを有した作品群である。富本の言葉を借りれば「形と模様の連関」だが、竹内の場合は、模様が出発点となることでこの連関に辿り着いている。竹内のやりたかったこと、見せたかったことが模様を通じて素直に表現されているといえるだろう。

 今回の個展では、矢絣のパターンが中心となり、口を小さく開けたこれまでのフォルムの作品に加え、開口部を大きく広げた鉢や深鉢状の作品も見ることができるだろう。竹籠から矢絣へとパターンが展開することで、模様の表現と形の表現に自由度が増し、さらに次を見据えることができるまでになったように感じる。次には竹内のさらなる「形と模様の連関」が見られることを楽しみにしたい。


(1) 竹内真吾氏へのインタビュー、2008212日。文章中に引用している竹内の言葉は、このインタビューによる。

(2) 金子賢治「竹内真吾論」『竹内真吾展』リーフレット、ギャラリー目黒陶芸館、20055月。

(3) 富本憲吉「李朝の水滴」『窯辺雑記』、文化生活研究会、1925